私が“相続”という言葉を自分の人生に実感として持ったのは、今から十数年前、父が亡くなった日だった。
私たちの家族構成は4人で父と母、それに私と弟です。私は2人兄弟の長男で、社会人になってからはずっと地元を離れて暮らしており、両親と弟は関東郊外の静かな住宅街に暮らしていた。
■ 父の体調の異変と、あまりに早い別れ
父の体調に異変が出たのは春頃のことだった。
軽い胸の痛みと息切れを訴えるようになったものの、本人は「年のせいだ」と笑い飛ばしていた。
だが、ある日の朝、母から連絡があった。
「お父さんが階段から落ちそうになったの。息が苦しいって言ってる」
そのまま父はかかりつけの医院に行き、そこから大きな市立病院へ回され、検査の結果——
検査の結果、父は「心筋症による心不全」と診断された。
担当医からは「重症心不全の状態で、回復は難しいかもしれません」と言われた。
即入院となり、主治医からは「予断を許さない状態」と説明を受けた。
■ 宣告されないままの日々
私たちは病名を本人に伝えるかどうか悩んだ。
でも父自身が察していたのか、あまり病状を聞きたがらず、
「まあ、いつかはみんな死ぬさ」などと冗談まじりに言っていたのを今でも覚えている。
結果として、入院から10日も経たずに、父はあっけなく息を引き取った。
■ 家族の初めての死と、戸惑いの連続
父が亡くなったのは7月の蒸し暑い日だった。
病室から出された後、目の前に突きつけられたのは、いくつもの“決断”だった。
- どこの葬儀場にするか
- 菩提寺がない場合、お墓はどうするのか
- 役所への届け出は誰が行くのか
- 相続って、今すぐ必要な話なのか
私たちにとって、血のつながった身内が亡くなるのは初めての経験で、
何を、いつ、どうしたらいいのか、全く分からなかった。
■ ネットだけが頼りだった
このときの私は、AIもなければ、相続の専門家の知り合いもいない。
頼れるのはネットの検索窓だけだった。
「死亡 届け出」
「相続 手続き」
「遺産分割 いつから」
検索しながら、ノートにやるべきことを書き出しては、ひとつずつ潰していく。
精神的にも時間的にも余裕はなかったけれど、
“やることリスト”を作ってチェックしていくことが、混乱した頭の中を整理してくれた。
■ あとがき:これが、相続の“入口”だった
こうして、葬儀と火葬が終わった数日後には、
「戸籍を取り寄せる」とか「相続人を確定する」とか、次の段階に進んでいく。
まるで、**誰も教えてくれないけれど、やるしかない“もう一つの儀式”**が始まったかのようだった。
次回は、その「死後すぐにやった手続き」と「思ったより多かった戸惑い」について書いていこうと思う。惑い」について書いていこうと思う。
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